—来週はクリスマスイブだ。最近身体の調子がおかしくなってきた。初めてその現象が起こったのは数日前。突然右手に激しい痛みが走り、手首から指先までかけて半透明に透き通り始めた。「!」それはほんの一瞬で、すぐに元に戻った。けれど僕は恐怖に震えた。ああ…とうとう始まったのだ。こうやって徐々に身体が消え、いずれ間宮渚と身体が一体化して僕の魂は消えていくのだろう。嫌だ、消えたくない。だって僕はまだ千尋に肝心なことを聞いていないのに。**** この日の夜。僕と千尋は里中さんと、先輩にあたる近藤という人と皆でラーメンを食べに行くことになった。近藤さんはとても気さくなタイプの人で、どうも千尋と里中さんの仲を取り持ってあげようと画策していたみたいだった。でも僕は反対出来ない。だってもうすぐ消えてしまう僕に、千尋を縛り付けることは出来ない。その後どういう話の流れか、里中さんも僕たちのクリスマスパーティーに参加することが決定していた。****——クリスマスイブランチを食べに来ていた近藤さんが突然僕に声をかけてきた。「間宮君、ちょっといいかな?」「はい、どうかしましたか?」「実は里中が高熱を出して寝込んでしまったんだ。悪いけど今日のパーティーは欠席させて欲しいと伝えてくれって言われたよ」「え? 里中さん、大丈夫なんですか?」「う~ん。あいつ一人暮らしだし、料理もしないから大変かもな。でもあいつには悪いけど余裕が無くて。今日はこっち、人手が足りないんだよ」近藤さんは随分困っているようだ。そこで僕は閃いた。「近藤さん、ちょっとだけ待っててもらえますか?」厨房に戻ると責任者の人に午後から半休を貰えないか聞いてみた。すぐに休みの許可を出してもらうことが出来たので僕は近藤さんの元へと戻った「近藤さん、僕が代わりに行ってきます。だから里中さんの住所教えてください」 **** それにしても里中さんの部屋のマンションを開けた時は本当に驚いた。まさか部屋の真ん中で倒れているなんて思いもしなかった。が看病しに来たことを話すと照れ臭そうにお礼を言ってきた。…多分彼となら千尋は幸せになれるだろうな。でもそう考えると胸の奥がチリリと痛む。 結局この日のクリスマスパーティーは中止になった。やっぱり里中さんに悪いからね。……大丈夫だよ。僕はいないけど来年もまたやれるんだか
何処へ出掛ける? って千尋に聞かれたとき、僕には色々行ってみたい場所があったけど、最初のお出かけはもう決めていた。千尋が休みの時、普段どんな過ごし方をしているのかがどうしても知りたかった。「こんな単純なお出かけでいいの?」 千尋は驚いたように訊ねてきたけど、僕は十分満足だった。 二人での初めての外出は本当に素晴らしい日となった。まず千尋。普段の服装とは全く違った女の子らしい服装ですごく似合っていた。他のどの女の子達よりもずっと可愛かったなあ。なんせ他の男の人達からも注目を浴びていたしね。でも正直、千尋を僕以外の男の目に晒したくない。だから千尋に言ったんだ。「僕が側についていないと、悪い男に声をかけられてしまうかもよ。だから……さ。手、繋がない?」嘘だ、本当はこんなの詭弁だ。ただ僕が千尋と手を繋いで街を歩きたかっただけ。でも千尋は嫌がらずに手を差し出してきた。僕はその手をそっと握る。うわあ……小さくて柔らかい手だなあ……。千尋を見ると少し耳が赤くなっているのが分かった。そんな千尋を見ていると僕まで照れてしまう。「何だか……ちょと照れちゃうね」照れ隠しに言ってみた。千尋はそれじゃやめる? って聞いてきたけど、僕にはやめる気なんか全くない。だから、より一層千尋の手を握りしめた。 僕が選んだお店のランチ、千尋すごく喜んでくれた。本屋さんでじっくり選んだ甲斐があったなあ。だからもっと僕を頼ってね。だって僕がここにいる存在理由は千尋なんだから。 楽しいデートが終わって帰り道のスーパー。僕は後どれ位千尋とこうしていられるのだろう。そう思うと何だか切なくなってきた。そんな僕に気が付いたのか、千尋が声をかけてきた。「どうしたの? 渚君。何だか元気が無いように見えるけど」ああ、やっぱり君は優しいね。僕の落ち込んでる姿に気が付いてくれるなんて。「うん……。楽しい時間てあっという間に過ぎて行ってしまうんだなと思うと少し寂しい気持ちになってね」「いつも一緒にいるのに?」「だけど、いつまでも一緒にいられるとは限らないかもしれないし」しまった。つい自分の本音を千尋に語ってしまった。「え……? それは一体どういう意味……?」途端に千尋の表情が曇る。もしかして僕にいなくならないで欲しいって思ってる? 少しは期待を持ってもいいのかな?「千尋、またこんな風に僕と出
その日の真夜中、何故か僕は見知らぬベッドで寝ていた。一体ここはどこだろう? 僕はパニックになった。それに身体が思うように動かない。何とかふらつく身体を起こし、周囲を見渡した。「あれ……もしかしてここは病院……?」僕はどうやら個室のベッドに寝ていたらしい。ベッドに取り付けられた名札は無記名になっている。辺りを見渡し、そっと病室を出て部屋番号を確認する。「502号室……」ひょっとするとここは本物の間宮渚が入院している病院なのかもしれない。そこで、この病院の名前が分かる物が何かないか病室に戻り探してみることにした。テレビ台の引き出しを開けてみると病院のパンフレットがある。「国立総合病院」とあった。住所は、僕らが住んでいる場所から電車で数駅と割と近い病院だ。場所は分かったけど、どうしたらまた千尋の元に戻れるのだろう? いっそこのまま病院を抜け出してしまおうか? そもそも僕と間宮渚の身体は一つになってしまったのだろうか?悪い考えだけがグルグル頭を巡る。その時。巡回の看護師だろうか、こちらに近づいてくる。慌ててベッドに入ると眠ったフリをした。やがて看護師は部屋のドアを開ける。どうかこの部屋に入って来ませんように……。僕は必死で祈った。すると祈りが通じたのか、看護師はライトでグルリと部屋を照らしただけで、すぐに部屋から出て行った。良かった……。何とかバレずにすんだみたいだ。それにしてもこんな状況だと言うのに異常な眠気が僕を襲ってきた。もう意識を保っているのも難しい。そのまま僕は結局眠ってしまった……。 朝、目覚めるとそこは僕がいつも寝起きしている幸男さんの部屋だった。もしかしてあれは夢だったのだろうか? やけにリアルな夢だったなあ……。恐らく、この生活は長くは続かないんじゃないだろうか? 僕の本能がそう言ってる。本物の間宮渚はひょっとすると生きようと思っているのかもしれない。もし彼が目を覚ました時……それは恐らく僕がこの世から消滅してしまう日となるのだろう。そんな予感がする。だって元々この身体は彼の物。僕の身体はとっくに死んで無くなってしまっているのだから。だとしたら千尋と過ごすこの時間、一分一秒でも長く側にいたい。だから僕は朝ご飯を食べている時千尋に訊ねた。「今日、二人で一緒に何処かに出掛けてみたいかな……なんて」「そうだね、特
その日の夜にワインを飲みながら仕事が決まったことを千尋に話す。ようやく千尋のお金の負担を減らすことが出来ると言ったら、何故か千尋の顔が曇った。どうしてだろう? でも後で話を聞いたら、それは僕がこの家を出て行ってしまうのではないかと思ったからだって。それを聞いたとき、僕は思わず彼女を抱きしめたくなってしまった。仕事が決まったことで、僕は前から計画していた話を千尋に伝えることにした。「……仕事は決まったけど……ここの家に置いてもらいたいんだ。駄目かな?」声がどうしても震えてしまう。千尋が固い表情で話を聞いている。お願いだ、どうか僕を拒絶しないで。千尋の側にいさせて欲しいんだ。黙っていられると不安でたまらない。僕は更に続けた。「これからはお給料も貰えるから、生活費だって千尋に渡せる。ううん、僕のお金なんて全部渡しても構わないと思ってる」だから、僕を遠ざけないで——見上げた千尋の手を思わず僕はギュッと握りしめていた。彼女の身体がビクリと震える。しまった! 驚かせてしまったかも………。でも、このまま千尋を諦めたくない。「千尋さえ良かったら……僕が迷惑じゃないなら、君の側にいさせて欲しいんだ……」 最後は縋るようなセリフになっていた。すると……。「何言ってるの? 当たり前だよ。私が渚君を必要だってこと、そんなの……とっくに分かってると思ってたけど?」笑顔で答えた千尋に僕の心は震えた。やっぱり僕は千尋を愛してるんだって。 千尋と二人で飲むワインは本当に美味しかった。慣れないワインに頬を赤く染めている千尋はゾクリとする程綺麗だった。そう言えば、あの頃は毎日が戦でお酒なんて飲むことすら出来なかったしね。お酒を飲むときの千尋はこういう顔を見せるのか。また一つ千尋の別の表情を発見したよ。 いつの間にか千尋はすっかり酔ってしまい、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。僕はそんな様子の千尋を少しだけ観察してみた。でも、ここで眠ったりしたら風邪ひいてしまうかもしれない。「千尋、ここで寝たら駄目だよ」そっと千尋を揺すってみる。「う~ん……」でも一向に千尋は目を覚ます気配が無い。どうしようかと思ったけれど、こうなったら部屋に運んであげるしかないか。 眠っている千尋の背中を椅子の背もたれに寄りかからせると、起こさないように担ぎ上げて部屋へ連れて行く。ベッド
夜、ドキドキしながら千尋が店から出てくるのを待つ。「あの……」千尋が声をかけてきた!僕は千尋の方を振り向く。「ひょっとしてこのお店で働く原さんのお友達ですか? もうすぐ原さん、出てくると思いますけど、呼んできましょうか?」ああ……ついに千尋が人間の姿になった僕に話しかけてくれた。どうしよう、余りにも嬉しすぎて言葉にならない。僕が黙っているからか、更に千尋が話しかけてきた。「……あの、どうされましたか?」どうしよう、嬉しすぎて言葉にならない。でも、何か話さないと怪しまれる。けれど、最初に口をついて出てきた言葉がこれだった。「会えた……」「え?」戸惑う千尋。「やっと、君に会う事が出来た。……千尋」ようやく僕は千尋と再会することが出来た――**** 驚くほど素直に千尋は僕の話を信じてくれた。あんまり簡単に人を信じるのもどうかと思うけど、そこが彼女の素晴らしい所だから、まあいいか。これからは僕がずっと一緒にいることになる訳だから、僕が気にかければいいんだし。 人間の姿になって千尋と何かを一緒にするのはこの上なく新鮮で、楽しかった。何より彼女の側を並んで歩ける。手を伸ばせば届く距離にいる。何度その手を伸ばして繋ぎたいって思ったか。でもそんなことをして怖がらせたくないから、我慢しないと。 渚の身体になってから良いことがある。それは彼が料理が得意だってこと。何であんな店で働いていたんだろう? こんなに素晴らしい料理の腕前を持っているんだから、お店でシェフとして働くことが出来るのに。千尋の為に料理を作る、喜ぶ顔を見るのは本当に幸せを感じる。口には出さないけど、全身で千尋が好きだよってアピールをする。千尋も僕の気持ちに気が付いてくれているのか、徐々に心を開いてきてくれている気がする。でも、もっと二人の距離を縮めたいな。だって前世では僕たちは恋人同士で結婚の約束をしていたんだから。 そうそう、一度だけこんなことがあった。仕事に行く千尋を見送った時のことだ。白い犬を散歩させている場面に出くわした時に千尋が僕、ヤマトのことを話してくれた。千尋、まだ僕が何処かで生きているって信じているんだね。騙してる僕をどうか許してほしい。でも、今も忘れないでいてくれているのを嬉しいって思う自分もいた。 千尋と暮らし始めて数日が経過して、大分打ち解けてく
僕はこの男と魂が一体化した。そのお陰か、彼の全てが全部手に取るように分かった。名前は間宮渚。23歳で調理師免許を持っているけど、今はぼったくりをするような如何わしい店でホールの仕事やバーテン、時には恐喝まがいのような仕事をしている。そして自分が恋人と思っていた女性に酷い裏切り行為を受けた。全てを奪われた精神的ショックで目が見えなくなり、自殺をしようと思って大量に風邪薬や咳止めを摂取したこと……それら全てを。でも僕が予想していた通り、目は正常に見える。やっぱり医者が言ってた通り、目の神経に異常は無かったみたいだ。 今の僕は彼なのだから、何処に何があるのかちゃんと分かっている。この部屋は渚が偽名で借りたウィークリーマンション、そして身分証明書は上着のポケットに入っている。全財産は今のところ約10万円。僕はこれらを利用して、何とか千尋に近づく手段を考えた。 まず最初に行ったのは公衆電話からの通報。若い男性がマンションの一室で倒れている事を匿名で警察に通報した。きっと、警察の方が何とかしてくれるだろう。次に住むところ。今日の所はネットカフェに泊まることにして、そこで住み込みの求人が無いか検索してみよう。 僕——間宮渚はこうして着実に千尋と再び一緒に暮らせる計画を考え始めた。僕の計画はこうだ。まずは働いてお金を貯める。そしてそのお金を持って千尋の元へ行き、でっちあげた身の上話を千尋に話す。こればかりは千尋を騙すようで非常に心が苦しかったけど、そうでもしないときっと千尋は家に上げてくれることすらしてくれないと思うから。この身の上話だって寝る間も惜しんで考えたんだもの。きっと心優しい千尋なら信じて僕を受け入れてくれるはず。その為には一度だけ、千尋の留守中にあるものを取って来なくちゃ……。 行動に移す前日の夜、僕はどうしても我慢できなくて千尋の家に行ってしまった。家の明かりが全て消える。「千尋、やっと君に会える日が来たよ。でもいきなり君を尋ねちゃうと、きっと怖がらせてしまうだろうから明日、会いに行くよ。お休み、千尋。君が素敵な夢を見れますように……」そっと呟いた——****——翌朝千尋が出勤するのを陰から伺い、辺りに気を配りながら誰もいない事を確認すると家の門をくぐった。目的は家の鍵を使って中に入ることだ。実は千尋の家ではいざという時の為に